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クチプディ舞踊劇とは

クチプディはアンドラ・プラデッシュ州のクチプディという村の名前からこの名前がきている。

この古典舞踊は、舞踊劇の形式をとっている。

この踊りの有名なブラーミンの師やエキスパートがクチプディ村に集まってこの古典舞踊の芸術的な価値、宗教的な踊りとしての純粋さを保ち、後世に残すためにグループ「ブラーフマナ・メーラー」を結成。これは男性のみで構成されていた。

最初このブラーフマナ・メーラーは、アンドラ・プラデーシュのあちこちにクチプディ村から出かけて行き、人々に披露した。シヴァ・プラーナ、ラーマーヤナ、マハーバーラタをテーマにしたダンス・ドラマ。歌や踊りを通して神への信仰を高めるもので、このことから彼らはバガヴァトゥルと呼ばれる。

アンドラ・プラデーシュを納めていた王国が崩壊し、この踊りに精通していた学者や音楽家はタミルナードのタンジョールに移り、そこの王様に保護される。そこで彼らはコロニーを作り、その王様の名前をとってその場所をアチュタプラムと呼んだ。後にメラトゥールという名で知られるが、それは今日も使われる。同時これらのバガヴァトゥルは、タンジョールに来たが、多数の世俗のプロのダンサーもそこに移り、踊りや歌の芸術を持ち込んだ。この地で彼らは多くのすばらしい音楽や踊りを新たに創造し発展させた。

高名なダンサーや音楽家たちがタンジョールに移る中で、多くのダンサーや学者はアンドラに残り、すでにクチプディ村に作られていた芸術センターの安定に力を注いだ。

クチプディ村に残っていたバガヴァトゥルの中でも神を称える詩歌を歌うことを通して最も神との一体性を高めた人に、バクタ・シデンドラ・コキがいる。インスピレーションを得て彼は舞踊劇を作り、クチプディ村のバガヴァトゥルやアーティストによって披露された。それはバガヴァタ・プラーナの教えからとられたもので、クリシュナ神の連れ合いサッティヤパマが天界の花パリジャタの木を植えてくれるように頼む。

以下話

この舞踊劇は古典クチプディ舞踊のテクニックに基づき、踊りのスタイルの中では最も良いアイタムとして今日も残っている。

クチプディ村の名前をとって古典舞踊が、その後どのように発展したかを知ることは興味深い。

デーヴァダシー(寺院付きの、神に奉納する踊りを踊る女性)、奉納する舞踊劇を踊る男性のブラーミン、寺院の外で王様の面前や人々に踊りを披露するラージャ・ナルタキの3つの舞踊集団がいた。これらのグループが相互に影響を与え合う。たとえば、ヴィシュヌ寺院で踊るデーヴァダシーは、祭の際に寺院で踊る。ラージャ・ナルタキは自分たちの世俗の踊りの中に、神に奉納する舞踊劇クチプディを取り入れる。こうして3者はベーシックを保ちつつ、踊りのテクニックで相互に影響し合い、新たな創造を生む。

ブラーフマナ・メーラーのクチプディ・ダンサーは、古代のサンスクリット経典に精通していたので、こういった経典の内容を保持することができた。彼らの舞踊劇は3つの主要な観点、ナティヤ=所作と踊りのコンビネーション、ヌリッタ=純粋な踊り、ヌリティヤ=身体、手、脚、顔の表情、口や肩から成るダンスの形を合同させた。

さらにダルヴを取り入れることによって舞踊劇を洗練し、高めた。これはドラマのはじめに登場人物の踊りを紹介するもので、自らの歌で登場人物を紹介しその後で踊りを踊り、幕間、姿勢、手のジェスチャー、その時踊りに合わせて音楽家の歌やリズミカルな踊りの詩が入る。最後にサブダ=リズミカルな踊りの詩歌、歌で登場人物を物語る。

ダルヴとサブタを加えたことで、舞踊劇に4つのタイプのアビナヤ=印象的な情緒的な内容に対する視野を与えた。すなわち、手足や身体での表現、またヴァチカビナヤ=声を通しての表現、サトゥヴィカビヤナ=ヒィーリングや感動を通しての表現、アルヤビヤ=衣装、メーキャップ、装身具他での表現。そこで叙情的な詩歌、音楽、踊りのミックスされたものとなる。もちろん強調されるのはドラマ的な解説面にあるが、バーガ、ラーカ、ターラの3つの要素の重要性がムード、メロディー、歌、リズムのタイミングをクリアにする。インドの古典舞踊の他のものでは、純粋な踊りの動きが、色んなタイミングにアレンジされ、タメル・ナードのパラタナ・ティヤムのジャティ、カルカッタのトーラ、オリッシ−のウクタのように、詩的な形の小編という方法で飾られる。

ここでは、音楽と歌は踊りのバックに添えられ、メインタイミングをキープし、その中で、同じ長さの短い韻律のインターバルがある。ドラムはパターンに合っている魅力的な音楽、このリズミカルなドラムは、韻律にぴったりとはまり、歌にあわせ、また踊り手の足とあっている。踊りの足のリズムは、歌とドラムの韻律とぴったり合い、それは詩歌と導入のピュアな踊りの部分の間で相乗される。

伝統的には男性だけがクチプディ舞踊劇に参加し、カタカリと同様に若い男性が女形をしていた。だが、全体の印象は優雅で激しい動き。その宗教的な要素は音楽や踊りを通して説明される。

Karanas(インド舞踊の基本とされるテクニックの1つ)の原理を強調し、手や立つポーズを優美なラインやポーズや踊りです。動きは優美で美しい。また、大変ドラマチックで叙情的部分は十分に発展させ、目や眉、顔の表情によってそのジェスチャーでサポートされる を表現する。伝統的にはダンスドラマには男のみが参加し、カタカリのように若い男が女形をしてきた。だが、このパフォーマンスの全体的印象は優雅で密な動き、その目的は音楽は踊りを通して宗教的テーマで説明している。これらのダンスドラマはステージダイレクターが大変重要である。この人はグルでダンス、踊り、音楽、舞踊の宗教書シャーストラに精通し、舞踊劇を本当の意味で演じられることのできるのはその人である。その人はステージに役者が上がる前に役を紹介し、必要ならユーモアを交え歌ったり、身体で表現する。クチプディ舞踊の流派はそれぞれ多くの舞踊劇を持っている。その中でも最も重要なものとしてパーマ・カラパムがある。

■ パーマ・カラパム

この舞踊劇はクリシュナの連れ合いサティヤヴァナのクリシュナに対する偉大な愛をテーマにしている。このフォームはケーララの古いカタカリ舞踊劇に似たものがある。舞踊劇はプロローグで始まる。2つの太鼓ミルダン、マダラとシンバルが合わせて演奏。演技者による歌が続く。インドラ神の旗竿に拝礼、その後ステージ監督は歌で演目のテーマと演者を紹介し、聴衆を舞踊劇の世界に誘う。これらはカタカリと同じように2人の人が持つカーテンの背後で行なわれる。監督はカーテンの上から顔を出して、観客を眺め回し、美しい踊りを披露する。彼女の特別な足の動き、腰、首、身体の動き、手のジェスチャー、雄弁な語りを入れる。歌の終わりに編み上げた髪を持ち、それを観客のほうに投げかける。この行為はアート性において、彼女の卓越さを超えてみようと挑戦してみないかという投げかけ。もし、その挑戦を受けて、観客の中から申し出た人がうまくやるとグルはその敗北を認め、他のダンサーがグルに代わり、演目を紹介する。しかし、今日ではこれらはあ単なるしきたりとなっている。グルが編み上げた髪を観客に投げかても観客はその挑戦に受ける者はいない。

ブラーフマナ・メーラー、デーヴァダシー、ラージャ・ナルタキは相互に交流し、ダンスの様式を保持してきたことは前にも述べたが、少し異なることをここで述べたい。デーヴァダシーがブラーフマナ・メーラーと交流し、あるテクニックを取り入れたとき、ついに彼らは完全に異なるダルヴを持った。すなわち、各キャラクターの導入部の踊りで、歌をスタートし、踊りは歌の意味を表現し、純粋に踊りの幕間=ヌリタ、歌を伴い身体や手のジェスチャー

デーヴァダシーは、歌のムードや歌われる叙事詩を手や身体を通して表現する物の様式を持っていた。


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